陰陽師の好物は??? ヒイラギイワシ?ヤイカガシ? その4
旧暦師走二十六日。
明日は己巳の日。
今晩は雪、降るのか???な冷たい雨☔を眺めてる 食福力指南師 一二三惠久彌 です。
鬼 ( 陰 隠 )といえば、私的にはやっぱり安倍晴明様♡
言わずと知れた稀代の最強陰陽師ですね。
一昨日書きましたが、渡辺綱さんが鬼の腕を切り落としたと言われているのが、一条戻橋。
一条戻橋っていやぁー
安倍晴明様だろっ!
って思ってたんですが(≧∇≦*)
鬼の好きな食べ物は、私たちの[ 邪 ]な心の持ちようってご紹介しましたから、その鬼を退治した安倍晴明様のお好きな食べ物はなんなの???
と、調べました。
ピンポイントでお好きな食べ物というのは、わかりませんでした(꒦໊ྀʚ꒦໊ི )
残念。
ですので、いわゆる平安貴族たちのお食事を考察してみようと思います。
陰陽師の安倍晴明様、八十五歳というご長寿。(しかも、正妻側室含めて京都に5つの家を持ち(五行と同じ!)それぞれのお家に子供をなしていたという、〇豪っぷり!知らなかったぞーーーー )
平安貴族や陰陽道を操る方はどんな食べ物を食べていたかというと、米を中心に大豆、ゴマ、そば粉と云った類の穀物。主食は玄米御飯や雑穀御飯。
おかずは、魚が中心でアジ、サバ、イワシ等、とはいえ食事の中にはお肉ももちろん見られました。その肉の種類は非常に幅広くヤマドリ・ハトなどの鳥のお肉に始まって、クマやアザラシ、イノシシなどの獣のお肉なども食べられていたとされています。ジビエですね。飼育という概念はまだなかったんでしょうね。野菜はカブ、大根、レンコン等、旬な物(山菜とか野草とか)。
日本酒が作られるようになるのは稲作が始まった縄文時代から、そしてその後さまざまなタイプのお酒が造られるようになって、平安時代には醴酒(甘酒)、御酒槽(儀式や酒宴用の高級酒)、御井酒(朝廷用の酒、濃厚で甘味が強い)、熟酒(フルーティな酒、現在の吟醸酒)などが作られていたって!
お酒の細分化、早くない???
どんだけお酒、好きなのよーーー(≧∇≦*)
まぁ、今私たちが食べているような、基本的な和食の原型ですね。
お野菜は、今のようにハウスがあるわけではないし、その時育つホントの旬のもの。
操作なしのパワーとエネルギー漲る食材。
ご飯を食べる時間は朝十時。
夕方四時の二回の規則正しく食べていたようです。
また、甘い・辛い・しょっぱい・酸っぱい・苦い味の五味を組み合わせて食べるようにしていたらしい。
というより、食事自体には味がついていなくて、調味料皿が一緒にお膳とともに運ばれてきて、自分で味付けをしていたらしいんですよね。
お醤油の原型の[ 醤 ]はあるにせよ、これは[ 舐め物 ]であって、調味料ではなかっただろうと。
お醤油になるのは、鎌倉時代かららしい。
調味料セットがでてくるって、今のタイ料理屋さんの調味料4点セットみたいですね。
そして、当時からすでに「庖丁」と呼ばれる料理人は存在していたのだそう。
調理法としては蒸す・煮る・焼く。
炒める・揚げるなどの現代では当たり前の調理法はなかった。
それでも、物凄くきちんとしてます!
栄養学とか発達していない時代に!
先人のエビデンスとかなくても、それが感知できる能力がスゴすぎる。
そして、だから、こその[ 陰 隠 ( 鬼 )]の氣配を感じることができるわけか。
やっぱり、5感よ、5感!!
だからこその、第六感なのよー
ただ、お献立があるようなお食事は貴族達のもの。
庶民は粟や稗と道端の草を食べるくるいとの記載も。
落差がすごいんじゃーーー(*_*;
そして、日本人はただ栄養を得る為だけに食事を摂るわけではなく、そこに何らかの[ 意図 ] や [ 祈り ]があると思います。
日本の食文化の根底にある考えは、強烈な[ 感謝 ]の念だとも思います。
なぜなら、日本では食事の前に[いただきます]というからです。
そして、食べ終わったら[ ごちそうさま ]というからです。
この習慣があるのは、世界広しと言えど、日本だけ。
これはまさに感謝を表現した言葉で
生きているものの命を戴くことで、自分の寿命を全うさせて頂くことへの感謝ですものね。
そして、単に言葉で感謝するだけではなく、言うことだけに氣をつけるのではなく、その行動の裏にある美しい身体を作ることを忘れてはいけないようです。
日本古来の生活様式の中に入り込んだ、身体所作をも含める必要があるということです。
姿勢を良くしてお行儀よく食べる。
これは、その方が消化がよく、身がよく保たれ整えらるから。
そして、その座り方で[ 腹 ]が座るから。
そぅ、日本の生活様式と所作、食べること、食文化、まるっとぐるっと繋がってるんですよねーーー
切り離せない。
『 心身魂、すべてが美しくあることが長寿の秘訣 』
そして、その状態こそが、 運がいい ということ。
そして安倍晴明が行っていた事が、年中行事を決して欠かさず行う事らしいです。
それにより『天からの恩赦を受け長寿になった』と考えられると仰っていらっしゃる現代の陰陽師さんもいます。
なるほどーーーー!!!!!
節分とは本来「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日に1年に4回あったもの。
ですが、日本では立春は1年のはじまりとして特に尊ばれて、陰陽師によって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな【節分の一種の行事事】)」の行事が行われていたのですが、晴明様は追儺(ついな)が宮中の喪中で停止された時期でさえ、自宅にて行うことを欠かさなかったそう。
まぁ[ 陰 隠 ( 鬼 )]の怖さを誰よりも分かっているからこそ、やらずにはおられなかったという考えもできるでしょうね。
そして、生涯天文博士としても活躍、長寿を全うした陰陽師安倍晴明様。
食文化と年中行事(その土地の行事)を大事にしたいっ!と思っての[ 食福力 ]
でしたが、陰陽師的にもお墨付きをいただけたと考えていいかも♡
ますます頑張って調べちゃうよーー
ますます頑張って書いちゃうよーー
そして、ここに行くと、平安時代のお食事が体験出来るんですって♡
行きたい!
今日も楽しく美味しくお健やかに福々しく♡
神様からお墨付きの人生☆
オイシイ日々で、宇宙から溺愛☆
#食福力(私が作った造語♡食べて幸せになるための智慧とか感能力のことをさします)
#宇宙から溺愛
#オイシイモノガタベタインジャー
#オイシイモノはこの世の正義
#安倍晴明
#陰陽師
#鬼
#平安時代
0コメント